今回は新井紀子さんの書籍「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を紹介いたします.身近にありながらも,いま一つ実態の掴めないAI技術.自己のフィードバックにより,自律的な能力を駆使するのでは?という,”シンギュラリティ“は到来間近!なんて話題も度々世間を賑わせますよね.はたして,AIとは何なのか?シンギュラリティはやって来るのか?それら疑問が解消できる一冊となっております.
- AIの弱点を見える化する「東ロボくんプロジェクト」
- AIに代替されない能力「読解力」
- 真のシンギュラリティはやってこない.しかし…
時間のある方は,以降の解説も是非見ていってくださいね.
作者「新井紀子さん」ってどんな人?
新井紀子さんは,日本の数学者です.専門は数理理論学.人工知能や教育への造詣も深く,分離融合分野など多方面で活躍.現在は国立情報学研究所にて,社会共有知研究センター長を務めています.
ここまで聞くと,”お、エリートウーマンが世代間格差を背景に,高みから弱者・低学歴をぶっ叩いてる本かな…?“なんて誤解が生じそうですが,全くそんなことはありません.むしろ,多くの人が将来路頭に迷わないよう,最悪な未来予想図を提示しつつ警鐘を鳴らしてくれている何とも慈愛と親切心に満ちた作品です.AI技術を十分理解し,漠然とした恐怖に翻弄されないビジネスパーソンを目指しましょう.では,内容解説始めます!
(翌年に出版された「AIに負けない子どもを育てる」は,本作の続編的な内容となっており,こちらもオススメです.よろしければこちらも是非.)
AIの弱点を見える化する「東ロボくんプロジェクト」
前半にまず”東ロボくん”という何ともキャッチーなネーミングをしたロボットが登場します.東ロボとは,東京大学合格にチャレンジするロボットの略称です.実際の東ロボくんは実体を持たないAI技術そのものらしいのですが,私は大好きな某猫型ロボットで脳内変換しつつ内容を読み進めました.
はたしてAI技術は大学入試を突破できるのか!?という何とも関心そそられる内容から本書は開幕します.しかし,本書では作者の新井さん含め,プロジェクト関係者の中にAIが東大入試を突破できると考える研究者は一人もいなかった,とも述べられています.じゃあ,なんでこんなプロジェクトやる必要あるの?なんて疑問が飛んできそうですが,まさしくこの点に作者の深い意図が込められているのです.
本来の目的は,「AIにできること,できないことを解明すること.それらが解明されれば,AI時代における人間が獲得すべき能力が明らかとなるため.」東ロボくんとは,AIの実像をよりポップに正確に実感してもらうための広告塔だったわけです.
歪曲したAI技術への認識は,無用な社会不安を煽るだけです.AIには,人間の仕事を奪うという一側面もあるかもしれません.しかし,新技術が既存の職種の必要性を棄損することは,過去の歴史においても繰り返されています.PCやインターネットの一般化により消えたタイピスト,仲介業者,販売業者,証券会社の場立人などなど…AI技術が初ではありません.したがって,過去の人々がそうしてきたように,自分自身も現社会に最適化すれば良いだけ.そんなメッセージを感じます.
当初の東ロボくんの偏差値(代ゼミセンター模試)は45.しかし,3年後の偏差値(進研模試センターマーク模試)が57.1まで上昇.2次試験は,駿台の東大入試プレを受験.中でも数学は6問中4問に完答し,偏差値76.2に到達します(!)
しかし,このプロセスが逆説的に東ロボくんの弱点を露見させます.AIの弱点,それは「文章が読めない」という一点です.
AIに代替されない能力「読解力」
東ロボくんもとい,AIの弱点は読解力でした.受験突破には,国語と英語が鬼門となります.「AIは文章が読めない」と聞いて,リアリティの持てる方がどれだけいるのでしょうか.”え?じゃあアレクサは一体どうやってこちらの言葉を理解してんの?”,”チャットボットやコールセンターでのAI技術の発達凄まじいじゃん!”なんて疑問が浮かんだのではないですか.
AIが問題を解く過程で活用するのは,情報検索・自然言語処理・数式処理.極めて論理的,合理的,機械的なプロセスです.逆に言えば,文脈どころか語彙の意味を理解しているのかさえ怪しい.いや,理解なんて出来ていないのです.人間から発せられたある”単語”を検知して,その後発せられる指示が何なのかを統計学的に導出しているに過ぎません.
AIに人間の常識や文脈は理解できません.統計的に見て最も多くの人が選択するだろう答えこそがAIにとっての答えです.教師データに依存して,答えを導き出しているに過ぎないため,人間がいとも容易く下している判断をAIに教え込むことは非常に難しい.
例えば,冷たいジュース.人間なら”暑いときに飲むと美味しいよね”なんて思うかもしれません.これは別に学校で教わったわけでも,家庭学習で獲得したものでもありません.ただ,過去の経験だったりで誰でも何となく知っている暗黙知です.この人間にとっての常識をAIは理解できません.
めちゃくちゃ暑い日,人間とAIそれぞれにお使いを頼んだとします.「何か買ってきて」と.人間なら,「こんな暑い日だし,冷たい飲み物が喜ばれるかな.あるいはアイスなんかも良いかも.」などと考え,冷たい何かを選定するでしょう.この判断がAIには出来ません.”暑い”と”冷たい物”を紐づけるのにさえ膨大な教師データを要します.
人間の中には「冬,コタツに入りながら食べるアイス美味しいよね~.」なんて人もいるかもしれません.けして誰かに教えてもらったものではないけど,この感覚,なんか分かるなあってなる方も多いのでは.AIからしたら,さっき教えてくれた「暑い=冷たいもの,寒い=暖かいもの」としたルールとの矛盾でしかありません.したがって,さらなる学習を要します.しかし,我々人間社会では,これさえも常識といって差し支えない.
人間は一見して非合理,あるいは矛盾する事象同士でも違和感なく同じ社会・環境に投影し,それを受け入れることができます.”A=B”と”A≠B”の間に橋を架けることができます.自身の持つ経験と目の前の事実を抽象化し,繋ぎ合わせることができる.この二つの事象を地続きに違和感なく理解できる力こそが”読解力”なのです.これこそが人間がAIを確実に凌駕できる力といえます.
でも,AIよりも読解力に優れている人間って意外と少ないんじゃね?という事実に作者は直面します.入試を突破しているにも関わらず,読解力の低い学生があまりにも多い.ここでようやく本書タイトルと繋がるわけです.AIに負けない人材を作る.そのためには,教科書が読めない子どもたち(人間)の読解力の実情に向き合い,向上させること.それこそがAI時代において,将来的に失業しうる人間を救済する抜本的な手助けとなるのでは.ここから作者のAI研究は,人間の読解力研究へと舵を切ることとなります.
真のシンギュラリティはやってこない.しかし…
シンギュラリティとは,AIが自律的に学習し人間を上回る知能を手にするという仮説を指します.ここまでの内容,つまりAIは読解力を持たないという事象が真実であるならば,このシンギュラリティはやってきません.人間社会を構築するルールのほとんどに人間にとっての「いい感じ」が含まれているからです.この「いい感じ」を理解できないAIがシンギュラリティを達成できるとは到底思えません.人間にとっての「いい感じ」を教え込む人間がいて初めてAIはその力を発揮できます.AIにできるのは,基本的に生産効率を上げることのみです.
しかし,この事実だけをもってして,“AIに仕事を奪われることはない.人間は安泰である”とも言い難いです.なぜなら,読解力を失っている,つまり,AIに代替されやすい人間が増えているからです.
日本は生産性に対し人件費が高い国といえます.単純作業は他国に移転するケースも増えていくでしょう.残る仕事は,読解力を駆使しなければこなせない高度で知的な労働だけです.これら仕事に就けない人間はすなわち失業します.
「AIが全ての仕事を代替することはない.しかし,AIの台頭により失業リスクは高まると思われるから,人間にしかできないスキルの獲得や技術研鑽は行っておこう.また,ライティング,リーディング,プレゼンスキルなどは日常的に鍛えておこう」これくらいのマインドなら,バランス感覚として及第点かな,と思います.過剰に恐れず,かといって楽観視し過ぎず,事実を受入れ自身を最適化することが大切ですね.
余談ですが,私がしていた看護のお仕事は,基本的にはAIに代替されない仕事なのだと思います.しかし,部分的には代替されることもあるのかな,と感じました.医療DXは発展著しいですし将来性もあります.看護業務の一部が代替されれば,失業する医療者も増えるかもしれません.もし,そういった時代が到来するのであれば…私はおじいちゃんおばあちゃんのお尻を拭いたりお風呂に入れたり,などAIには絶対出来ない仕事に邁進する所存であります.笑
おわりに
いかがだったでしょうか.本稿では,書籍の内容やAIの概略を簡単に扱いました.本書は今回の解説で触れた内容以上に多彩で面白く,また,作者のアイデアやユーモアに富んだ作品となっています.友人や家族にも是非オススメしたい本の一つです.
世に溢れる「AI」と名の付く商品・技術は胡散臭い物が多いです.”最新のAIにより~”だとか,”AIが選定~”だとか,意思決定出来ない,かつ他責思考な情報弱者を狙ったものとしか思えません.AIはあくまでも人間の生産効率を引き上げるサポート役でしかない.最後の決定権を行使するのは,そして,真に心地よい社会を熟慮するのは人間の役目です.
また,AIは人間の社会を良くするため,人間によって作られたツールです.敵では無く共に社会を良くしていくビジネスパートナーみたいな存在です.仕事は社会の隙間を埋めるもの.AI技術によってすでに埋まった隙間に群がるのではなく,新たな隙間を,新たな社会の需要に目を向ける必要がありそうです.AI廃止のデモパレードに参加するのではなく,自身の能力を高め社会に最適化させる.それこそが今後到来するAI時代を乗り切る人間の最適解ではないでしょうか.
じゃ、今回はこのへんで!ではでは!