皆さんはタルムードという書物をご存じでしょうか。タルムードとは、およそ1500年前に成立した物語集です。内容は寓話。イソップ童話のように、教訓や風刺を織り込んだものとなっています。
タルムードが今なお現代人の指針として注目される大きな要因の一つとして、ユダヤ人との深い関わりがあります。
ユダヤの母親は、幼い子供にタルムードを何度も繰り返し読み聞かせるそうです。そして「あなたならどう考える?どうする?」と幾重にも質問を投げかけます。するとこれら教訓のシャワーをくぐった子どもたちの中に、リスク分散やヘッジなどビジネスにおける不可欠な概念らが自然と溶けていきます。
この一連の教育の中にユダヤ人を世界的な偉人へと押し上げるヒントがあるのでは、と考えられています。以下に挙げる人物は全てユダヤ人です。
イエス・キリスト
アルバート・アインシュタイン
スティーブン・スピルバーグ
ラリー・ペイジ
まさに錚々たる顔ぶれです。また、ユダヤ人は世界人口のおよそ0.2%に過ぎないが、ノーベル賞受賞者の20%はユダヤ人との指摘もあります。迫害に曝されつつも、それらを跳ね返してきたユダヤ人の知力・経済力はまさに傑出しています。その力の源泉ともいえるのがタルムードです。ユダヤ人の肩に乗った気持ちでタルムードを学び、高い視座を手に入れましょう。
“魔法のザクロ”を3行で説明すると以下のとおり。
- 3人の兄弟がそれぞれ魔法のような道具を手に入れる。
- 3人で魔法道具の力を結集し、病床に伏せるお姫様を救う。
- お姫様が婿に選んだのは、最も代償を支払った三男だった。
3人の兄弟がそれぞれ魔法のような道具を手に入れる。
ある3兄弟が主人公の話です。その3兄弟は各方面に散らばり10年の修行に旅立つことにしました。そして、10年後の再会時にはそれぞれが各地で発見した不思議なものを持ち寄ろうという約束も交わしました。
長兄は覗き込むと世界の隅々まで見渡せる魔法のコップを。次兄は空飛ぶ絨毯を。下の弟は魔法のザクロを手に入れます。(なお、ザクロの効果は不明。)そして3兄弟は再会の時を迎えます。
3人で魔法道具の力を結集し、病床に伏せるお姫様を救う。
再会間もなく3人はそれぞれが手に入れた魔法の道具を披露します。長兄がドヤ顔でコップを見せびらかすと、病気で瀕死のお姫様がたまたま映り込みました。「これは大変だ!」と次兄の持つ魔法の絨毯に乗ってお姫様を救出に向かう3兄弟。
到着して間もなく、一番下の弟は確信します。自分が持っているこのザクロなら姫の病気治せるんじゃね、と。(理由は不明)早速、お姫様にザクロの実の半分を分け与える弟。すると不思議なことに、お姫様の病状は劇的に改善。病床に伏せていたのがまるで嘘だったかのようにお姫様は回復したのです。
お姫様が婿に選んだのは、三男だった。
このことにいたく感激した王様。この三兄弟の誰かが姫の婿になって欲しいなと言い出します。三人の中からなら誰でもいいよ、と。
しかし、そこに割って入るお姫様。そして言います。「私に質問させてください。」と。
お姫様はまず長兄に訊ねました。「その魔法のようなコップは今でも元のまま使えますか?」長兄は、「もちろん使えます!」と答えます。
続いて次男に訊ねます。「その魔法の絨毯は今でも元のまま使えますか?」次男も同じく、「全く元のままです!」との回答。
最後、一番下の弟に訊ねます。「そのザクロは以前と全く同じ元のままですか?」この質問に対し一番下の弟は、「お姫様に半分差し上げましたので、今は半分しかありません。」と返します。
お姫様は全員の回答が出揃ったところでこう宣言します。「私は一番下の弟と結婚します!」と。物語はここでおしまい。めでたしめでたし~。
この物語における問題提議
ユダヤの母なら、ここで子どもに訊ねるでしょう。“あなたがお姫様だったら三兄弟のうち誰を選ぶ?また、その理由は?”あるいは、“お姫様が一番下の弟を選んだのは何故かな?”といった感じにです。この物語を読んだあなたは誰を選びましたか?そしてその理由は何ですか?
この物語が伝えたいこと
この物語が伝えたいこと。それは、No Pain, No Gain.(犠牲なくして成功なし)です。
お姫様の質問の意図は、“自分を救う過程で一体誰が一番犠牲を払ったのだろう”ということです。これは、“誰が一番この成功に寄与したのだろう”という疑問とは相対する疑問です。お姫様はけして一番下の弟の貢献度が高いとは言っていないのです。
最後の最後に報酬を独り占めする世渡りの上手さ、何とも末っ子っぽいなあと個人的には思ってしまいます。でも、一番下の弟は自分の宝を躊躇なく、半分あげてしまえるのです。その結果、お姫様が助かるという確証はありません。もちろん報酬を狙うといった打算もありません。でも、迷うことなく分け与えるのです。ここに弟の素晴らしさがあります。
真のリスクには痛みが伴うばかりか成功の確実性もない
投資の世界でときどき耳にする言葉があります。「確実に儲かるのであればお金を出すのだけれど…」というものです。しかし、リターンに確実なんてものはありません。利益を享受できるのは不確実性やリスクを許容した者にだけ与えられる報酬です。結果が約束されている痛みは真のリスクと言えません。そんな奴は個人向け国債でも買って気絶しとけって感じです。
今、政策金利の利上げやアメリカの雇用統計の結果を受け、暴落市場となっていますよね。この相場を生き残るのは、暴落におけるリスクをも許容し受け入れられる人のみです。株高のときだけ投資妙味を感じ、暴落した途端、証券会社のコールセンターに怒りの電話を入れる人がいます。リーマンショックやコロナショックのときもそうした人が現れました。
リスクを許容できない人は責任の所在を他人に求めます。自身の身に降りかかる痛みは拒絶します。お姫様のせいで宝が半分になってしまったのだから、求婚を受けるのも当然とでも言い放ちそうです。これはリスクに立ち向かう正しい姿勢といえません。
本当のリスクに“元本保証”や”成功を約束”といった概念はありません。本作における弟のように、いざその時がきたら結果がどうあれ、エイッと手放してしまう勇気が必要かもしれませんね。
おわりに
いかがだったでしょうか。ユダヤ人が最も大切にしているリスク管理における考え方でした。
大人の視点でも学びが非常に深い物語ですよね。この物語を聞かせ、意見を求めるだけでその人の精神性を知ることができる良いツールとも言えます。
私自身、子供がある程度大きくなったら、読み聞かせたいと思います。彼は一体、どんな考え方を披露してくれるのかな?今からとても楽しみです。ではでは、これにて!